名曲レゾンデートル〜“傑作”の理由(わけ)Vol.0 プロローグ

text:城所孝吉

筆者がこの連載でテーマとし、狙っているのは、作品を解釈することである。表面的には、作曲家や作品についての通説を検証したり、別の角度から見る、といった「新しい見方」を提示することになる。しかし、こうした主題設定にありがちな、「本当はこうなんですよ」といったような、裏話的なものは意図していない。そうではなく、「作品をどのように読むことが可能か」ということを、通底するテーマ、あるいはアプローチの方法として取り入れたいと思っている。

具体的にはどういうことか。端的に言えば、「音楽が語る物語」を抉り出すこと、「作曲家はなぜこの音楽をこう書いたのか」を考えることである。筆者は昔から、「分かりやすい曲」があまり好きではなかった。例えばベートーヴェンで言えば、「運命交響曲」や「熱情ソナタ」である。これらの作品が傑作であることは、疑いようがない。その革新性、テーマや旋律、和声、構造上の創意、エモーショナルな密度の高さは、誰が聴いてもすぐに分かる。しかしそれだけに、最初の感動と興奮は、比較的すぐに冷めてしまうような気がする。少なくとも、筆者にとってはそうだった。曲があまりにもよく書かれていて自己完結しているため、表面の背後に隠されている「秘密」が感じられないのである。端的に言えば、どの演奏でも、誰もが同じ回答に到達する。もちろんカラヤンとパーヴォ・ヤルヴィでは、テンポも響きもフレージングも違うが、作品がまったく別な曲になってしまう、ということはない。「運命」ならば、闇から光に達する、という基本的なメッセージは、変わらないだろう。端的に言えば、これらの作品には、解釈が介在する余地があまりない。「回答」が音符によって、作曲家の手で書き込まれているからである。

これに対して「第九」は、一筋縄ではいかない作品である。ベートーヴェンは、この曲の終楽章をカンタータとして構想した。そして「楽しい歓喜の歌を歌おう。そこで人類は皆兄弟になる」というメッセージを送った。一体なぜなのか。彼はこの曲が、自分にとって最後のシンフォニーになると悟っていたはずである。そこで、どうしてこのような曲を構想したのだろうか。

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