ムソルグスキー「展覧会の絵」(前編)| 名曲レゾンデートル 〜“傑作”の理由(わけ)Vol.1

text:城所孝吉


ムソルグスキーの「展覧会の絵」(1874年)は、作曲家が友人の画家・建築家ヴィクトル・ガルトマンの遺作展を観たことをきっかけに書かれたものである。ムソルグスキーとガルトマンは、1870年に評論家ヴラディーミル・スターソフに紹介され、すぐに親しい友人となった。しかしガルトマンは、1873年に動脈瘤で急死してしまう。スターソフは、翌74年にペテルブルク芸術アカデミーで400点に及ぶガルトマンの個展を開催したが、「展覧会の絵」の「展覧会」とは、まさにこの遺作展を指している。

筆者がこの曲を聴いていつも思うのは、「個々のナンバーを超えた作品全体の意味は、何なのだろうか」ということである。「展覧会の絵」は、連作キャラクター・ピースのように演奏されることも多いが、出展された絵画を音楽化することだけが、作曲の動機だったとは思えない。ムソルグスキーが書いた音楽が、絵そのものと必ずしも一致しないからである。

「展覧会の絵」のナンバーとの一致が確認されているガルトマンの絵は、6点ほど現存する(「卵の殻をつけた雛の踊り」、「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ(注:2つの絵)」、「カタコンベ」、「ババ・ヤーガ」、「キエフの大門」)。そのなかで「ババ・ヤーガ」は、鶏の足がついた小屋の形をした置時計を描いたものである。つまり時計の(工業)デザインであり、ババ・ヤーガという伝承の魔女自体ではない。しかしムソルグスキーは、これに魔女の百鬼夜行を思わせる音楽を書いている。同様に「卵の殻をつけた雛の踊り」も、バレエ作品の衣装デザインで、群舞する雛の絵ではない。しかし音楽は、雛たちが舞台で踊る姿を描写している。

つまりここでは、絵の具象化というよりも、ムソルグスキーがガルトマンの絵を観て「想像した」世界が描かれている。その際特筆すべきは、絵を観るムソルグスキー自身が、5回登場する「プロムナード」によって形式化・具象化されていることである。それが個々のナンバーに挟まれるのは、ひとつの絵から次の絵に移る彼の「歩行」を表現しているからに他ならない(注:スターソフの解題にある表現。プロムナードとは「遊歩道」を意味する)。ムソルグスキー自身、「プロムナードには私の顔が見える」とスターソフへの手紙で語っており、これは作品の明確なコンセプトと呼べる。

ここで言えるのは、「展覧会の絵」では、絵自体が表現しているもの以上に、ムソルグスキーの頭のなかで起ったことの方が、おそらく重要なことである。つまり、次のように考えることができる。遺作展のホールを歩くムソルグスキーが一つひとつの絵を覗き込み、それを観て自分のなかでイメージを膨らませる。各曲は、その想念や連想、それによって生じた感情の動きを音楽にしたものである、と。

なぜそれを言うのかというと、これが作品全体のメッセージと関連しているように思われるからである。もちろん「ババ・ヤーガ」や「卵の殻をつけた雛の踊り」は、描写的な音楽だが、いくつかのナンバーでは、絵がムソルグスキーを触発したことだけでなく、彼自身の個人的な想いが反映されているように感じられる。事実、ムソルグスキー自身とその心の動きを表現したプロムナードは、繰り返しのたびに悲しげになったり、勇壮になったりする。つまり彼は、絵画を観た後、その絵とガルトマンについて特定の想いを巡らすのであって、プロムナードと各ナンバーには、ムソルグスキーのガルトマンへの想いが投影されているのである。

筆者は、この「ガルトマンについて考えること」が、作品全体のメッセージではないかと考えている。つまり「絵を観ることによってガルトマンという人間を思い起こし、その死を悼み弔うこと」である。実際この作品は、ムソルグスキー自身の作品抄録(1878年)では、「展覧会の絵〜ガルトマンの思い出」と題されている。さらにスターソフへの手紙では、端的に「ガルトマン」と呼ばれているのである。

以上を検証するためには、「プロムナード」についてより深く考えてみなければならないだろう。というのは「プロムナード」は、「展覧会の絵」をユニークにしているだけでなく、全体のコンテクストにおいて、決まった意味を担わされていると思われるからである(後編に続く)。

Profile
城所孝吉(Takayoshi Kidokoro)

1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。1990年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』などの雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活躍。