『ジェニーの肖像』

連載 映画の中のクラシック音楽 第1回

text:松本 學


映画の中でクラシック音楽を効果的に用いている作品は少なくありません。ここでは数回にわたって、そのような作品をいくつかご紹介したいと思います。
映画ファンにはクラシックを、クラシック音楽ファンには映画を、双方をお好きな方はなお一層、ご興味を持っていただけるような一助になれば幸いです。

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第1回 『ジェニーの肖像』

“Portrait of Jennie”
監督:ウィリアム・ディターレ William Dieterle
原作:ロバート・ネイサン Robert Nathan
音楽:ディミトリ・ティオムキン Dimitri Tiomkin
出演:ジェニファー・ジョーンズ Jennifer Jones
   ジョゼフ・コットン Joseph Cotten
   エセル・バリモア Ethel Barrymore
   リリアン・ギッシュ Lillian Gish

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JVD-3049 ¥5,040(税込)

タイム・トラベルやタイム・スリップという素材は人気が高く、数多くの映画作品が撮られてきた。『タイム・マシン』(1960)しかり、『時をかける少女』(1983)、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)、『ニューヨークの恋人』(2001)しかり。

それらの中でも、古典的名作のひとつとして映画史に残るのが、ロバート・ネイサンの同名小説を原作とする『ジェニーの肖像』(1948)である。後のクリストファー・リーブ&ジェーン・シーモア主演による『ある日どこかで』(1980)に通ずるような、男女の愛情を描いたファンタジーに、ミステリーとサスペンス風味をまぶしたような味わいを持つ本作は、時空を超えて移動する側ではなく、それを受け容れる側を語り手としていることが特徴で、その点ではアーノルド・シュワルツネッガーが出演した『ターミネーター』(1984)や、あるいはゴーストを扱った作品の描き方に近いと言えるかもしれない。またタイム・トラベルが起きた物理的きっかけ──時空の歪みや裂け目が見つかったとか、落雷、オーロラ、皆既日食──などには一切触れず、運命の糸で結ばれている唯一無二の相手であるがゆえという理由のみを根拠とする。

撮影法としては、各所でキャンバスを映像に重ね、絵画や画家をイメージさせたり、パートカラーを採用し、クライマックスで突如カラーの映像を差し挟んで、観る者を驚かすことも大きな特徴である。


【ストーリーと登場人物】

1938年の冬の夕暮れ、売れない若き画家のイーベン・アダムズ(ジョゼフ・コットン)は、ひとり公園で遊ぶ少女ジェニー・アップルトン(ジェニファー・ジョーンズ)に出会う。次の日曜日には公園のスケート場で、その次には彼女がイーベンの部屋を訪れたりと再会を繰り返すが、その度ごとに彼女は時の摂理を超えた成長を重ねて現れるのだった。ジェニーはなぜイーベンのもとへ現れたのか、彼女は一体どのような存在なのか──幽霊なのか、あるいは芸術家にもたらされるインスピレーションの謂なのか──。

映画の主要登場人物は約8名。ジェニーとイーベンのほか、イーベンの絵を受け容れる画商ヘンリー・マシューズとミス・スピニー(エセル・バリモア)、彼の家主ミセス・ジークスと友人のタクシー運転手ガス・マイヤー、壁画を描くことになったレストラン「アルハンブラ」のオーナーのムーア、それにジェニーが所属していた修道院のマザー・メアリーといったところ。


【原作との相違】

登場人物の点で大きな違いは、原作小説では会話の中で僅かにしか触れられない修道院のシーンが映画版にはあり、ここで修道女のマザー・メアリー(演ずるはリリアン・ギッシュ)が登場すること。また、小説では大切な役を担うイーベンの友人の画家アーン・クンストラーは映画には登場しない。

ストーリーおよびプロットの上でも原作と映画とには細かな違いはいくつかあるが、特筆すべき大きな違いは4つある。ひとつは、ジェニーが大人になるための準備としてフランスの教養学校に行く前日に、ガスの運転する車で、イーベンと3人で郊外にピクニックに出かける場面が映画にはないこと。そしてその晩、イーベンの部屋で2人が深夜に話し込んでいると、家主がふしだらだと誤解してジェニーを追い出しにくる場面の代わりに、2人は幸福なムードの中、夜通し町を歩き続け、朝になってアトリエに一緒に戻るよう変更されている(このアトリエのシーンが素晴らしく美しい)。

2つ目は、イーベンよりも数年前に生まれているジェニーが、少女として彼に出会い、その後会う度に急激に成長した姿で現れ、最後にイーベンとほぼ同じ歳となるという原作に対して、映画ではすでに亡くなっていることだ。

3つ目は、映画ではジェニー自らがボート遊びをし、遭難したとされるが、原作ではフランスから帰国する汽船に乗っていたという設定だったこと。したがってラストの壮絶な別れのシーンの描写も別なものとなっている。

そして4つ目。メトロポリタン美術館に飾られている彼女の肖像画は白のブラウス姿だが、原作では『黒衣の少女』である。その他、映画では、イーベン以外にはジェニーの姿は見えず、存在が信じられていない。そのため、ジェニーと出会った時のスカーフが、彼女が実在していた証として用意されていることも挙げられる。


【音楽】

音楽を担当したのはディミトリ・ティオムキン(1895〜1979)。ロシアからハリウッドへと移り、数々の名曲を残した作曲家である。本作で彼とプロデューサーのセルズニックは、ほぼ全編にドビュッシーの作品を効果的にちりばめている。

その用い方を少し詳しく列挙してみると、映画の冒頭、ハリケーンの雲の映像には《夜想曲》の〈雲〉、直後に同じく《夜想曲》から〈シレーヌ〉、そして雲が晴れると《牧神の午後への前奏曲》という具合だ。

イーベンが登場し、画家として認められず、報われない芸術家の心理を吐露する場面でも〈雲〉が用いられる。しばらくして、公園に差し掛かると《牧神の午後への前奏曲》に転じ、直後にジェニーとの初めての出会いとなる。ジェニーが駆け寄って、自己紹介をする場面では《アラベスク第1番》、その途中、イーベンの持つ絵の中から灯台(後の海難事故の象徴)の絵を見つけると〈シレーヌ〉が挿入される。シークエンス最後に2人は別れ、ジェニーの姿が見えなくなると再び《牧神》が流れる。続いて帰宅後のイーベンの部屋。ジェニーの忘れ物のスカーフを見る時に《アラベスク》、記憶を頼りに彼女のスケッチを始めると《前奏曲集第1巻》に収められた〈亜麻色の髪の乙女〉が流れる。

ジェニーが再び姿を見せるのは数日後の日曜日。72番街の公園のスケート場である。《牧神》が流れ、少しするとシルエットのジェニーが近付いてくる。ジェニーの姿がはっきりと映ると《アラベスク》に転ずる。イーベンがジェニーにスカーフを返す際には《牧神》に《アラベスク》と〈亜麻色の髪の乙女〉が僅かにまぶされる。ここでもジェニーが去る際には《牧神》が用いられている。

3度目のジェニーの登場は、イーベンの帰り途、《牧神》とともに始まる。両親が事故死したと彼女が啜り泣く瞬間には〈シレーヌ〉。このようにジェニーは映画では7回イーベンの前に現れ、またデッサンやスカーフなどが、記憶を喚起する象徴として描かれるのだが、その都度ドビュッシーの諸作品で彩られるのである。

このように、ジェニーの登場時やその存在を予感・暗示させたり、彼女がまた去ってゆく際には《牧神》が用いられている。そして、この曲の主題のたゆたうような浮遊感のある楽想が、正体のわからないジェニーの神秘性や幻想性を絶妙に象るのである。さらに芸術家の苦悩には〈雲〉を、ジェニーの溢れる魅力には心浮き立つような《アラベスク》、彼女を想う場面にはしっとりと情感豊かな〈亜麻色の髪の乙女〉、そして“死”のイメージに対しては〈シレーヌ〉をと、いわゆるライトモティーフ的な用い方をしているのが見て取れる。また後半に向けて、複雑な心理の際にはこれらが混在したり、同時に鳴らされることもある。

映画の最後、ハリケーンから救助されたイーベンのもと、ミス・スピニーが見舞いに訪れる。「(ジェニーの存在は)あなたが信じていればよいのよ」というその手にはジェニーのスカーフがある。「浜辺で倒れていたあなたのそばにあったのよ」とミス・スピニーが答えるシーンに流れる音楽は、もちろん《牧神の午後への前奏曲》に他ならない。そしてメトロポリタン美術館に飾られたジェニーの肖像(再びカラー!)には〈亜麻色の髪の乙女〉のメロディが添えられている。


profile
松本 學(Manabu Matsumoto)

音楽、バレエ/ダンス、映画の批評。『レコード芸術』『音楽の友』などの雑誌や、CD・DVD解説、演奏会プログラムへの執筆のほか、多くの海外取材、各種コンサートの企画・サポートも務める。共著に『地球音楽ライブラリー ヘルベルト・フォン・カラヤン』、『知ってるようで知らない バッハおもしろ雑学事典』など。