ワルシャワ時代のショパンが所有したピアノの復活 | 川口成彦のフォルテピアノ・オデッセイ 第1回

2018年、第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで見事第2位に入賞し、一躍脚光を浴びた川口成彦さん。現在、アムステルダムを拠点に演奏活動をおこなう傍ら、世界中の貴重なフォルテピアノを探し求めて、さまざまな場所を訪ね歩いています。この連載では、そんな今もっとも注目を集める若きフォルテピアノ奏者による、ほかでは読めないフレッシュな情報満載のレポートを大公開します!

第1回 ワルシャワ時代のショパンが所有したピアノの復活
〜ピリオド楽器によるショパン演奏、新時代の幕開け〜

text & photos:川⼝成彦

ポーランド独⽴100周年の記念すべき年である2018年の3⽉17⽇。ワルシャワ⼤劇場(Teatr Wielki – Polish National Opera)は満員の聴衆で埋め尽くされていました。テレビ局の巨⼤なビデオカメラが客席のベストポジションに⾝構え、多くの報道陣のカメラがステージ中央の被写体を美しく捉えるべく⽬を光らせていました。あのフレデリック(フリデリク)・ショパン(Fryderyk Chopin, 1810-1849)がワルシャワ時代に所有していたブッフホルツの復刻ピアノ。その⽇舞台中央で眩しく輝いていたものはまさにそれでした。

2018年3月17日のワルシャワ大劇場

ショパンのピアノの復活

フリデリク・ブッフホルツ(Fryderyk Buchholtz, 1792-1837)はショパン存命中のポーランドを代表するピアノ製作家の⼀⼈です。1815年頃にワルシャワに最初の⼯房を開いてすぐに彼のピアノは評判を⽣みました。そしてショパンはブッフホルツの⼯房を頻繁に訪れ、1825年以降にショパン家が楽器を⼀台購⼊したと⾔われています。1830年にワルシャワを離れるまでそのピアノはショパンの⾳楽活動の重要なパートナーでした。しかしワルシャワ時代のショパンを語る上で⾮常に重要な「ショパンが所有したブッフホルツ」は残念なことに現存していません。そのピアノは1863年の1⽉蜂起の際に⼼無いロシア軍の兵⼠によりワルシャワの建物の2階より投げ出され、死に絶えました。ポーランドの詩⼈ツィプリアン・ノルヴィト(Cyprian Norwid, 1821-1883)はその悲しい出来事を「ショパンのピアノ Fortepian Szopena」という詩によって今⽇に伝えています。

Fortepian Szopena が現代に蘇ることはポーランド国⺠およびショパンを愛する⼈にとってはまさに⻑年の夢だったと思われますが、ショパンのブッフホルツ・ピアノを現代に蘇らせる壮⼤なプロジェクトが、ショパン⽣誕200周年の2010年についにワルシャワの国⽴ショパン研究所(NIFC: Narodwy Instytut Fryderyka Chopina)によって構想されたのでした。楽器の製作を任されたのはチェコに⼯房を持つ鍵盤楽器製作家ポール・マクナルティ(Paul McNulty, 1953-)です。彼は歴史的ピアノの製作において今⽇最も名の知れた⼈物の⼀⼈であり、古典期のピアノだけでなくロマン派の時代のピアノの復元も積極的に⾏っていることでも知られています。

ピアノは鍵盤という媒体を介してハンマーが弦を打つ打弦楽器ですが、このハンマーの運動を⽣み出す仕掛けにおいて19世紀のピアノには主に2種類の⼿法が⾒られました。すなわちイギリス式(突き上げ式ハンマーアクション)とウィーン式(跳ね上げ式ハンマーアクション)です。ブッフホルツは両タイプのピアノを製作していましたが、ショパンが所有したブッフホルツはウィーン式だったと考えられており、マクナルティの復元楽器はウィーン式で作られました。ペダルは4つ付いており、⼀番左がソフト・ペダルで⼀番右がダンパー・ペダル、そして真ん中2つが18世紀後期から19世紀初期のウィーン式ピアノによく⾒られる「モデレーター」です。モデレーターを⽤いると弦の下にフェルトが挟まり、ハンマーがフェルト越しに弦を叩くことになるので⾳⾊が柔らかく変化します。2つのモデレーターの違いはフェルトの枚数です。一枚か二枚かの違いで音色の変化がさらに生み出されます。

4つのペダルを持つブッフホルツの復元楽器

ヘ短調のピアノ協奏曲 蘇る初演公演

マクナルティによるブッフホルツの復元ピアノのお披露目公演のプログラムはポーランドの作曲家カロル・クルピンスキ(Karol Kurpiński, 1785-1857)の管弦楽作品《モジャイスクの戦い Bitwa pod Możajskiem op. 15》(1812)、同じくクルピンスキのピアノ独奏曲《「ポーランドは未だ滅びず (ポーランド国歌)」の主題によるフーガとコーダ Fuga i koda na temat “Jeszcze Polska nie zginęła”》(1821)、そしてメインプログラムのショパンの《ピアノ協奏曲 へ短調 (第2番) op.21》(1829)という構成で、間に休憩を挟むことなく演奏されました。

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この記事を書いた人

川口 成彦(Naruhiko Kawaguchi)

1989年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位(2018)、ブルージュ国際古楽コンクール・フォルテピアノ部門最高位(2016)、第1回ローマ・フォルテピアノ国際コンクール優勝(2013)。フィレンツェ五月音楽祭をはじめ欧州の音楽祭にも出演を重ねる。協奏曲では18世紀オーケストラなどと共演。東京藝術大学楽理科卒業。東京藝術大学大学院およびアムステルダム音楽院の古楽科修士課程を首席修了。
公式ウェブサイト
https://naru-fortepiano.jimdo.com/