ムソルグスキー「展覧会の絵」(後編)| 名曲レゾンデートル〜“傑作”の理由(わけ)Vol.2

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text:城所孝吉

前編でも述べた通り、「展覧会の絵」では、ガルトマンの遺作展で出品された絵画が「描写」されているのではない。むしろムソルグスキーはここで、ガルトマンがどんな気持ち(あるいは意図)で各々の絵を描いたのか、想像している。友人は「ビドロ」を描いた時、何を思っていたのか。あるいは「古い城」は? ──ここで音楽化されているのは、絵そのものではなく、ムソルグスキーが考え、感じたことである。端的には、次のように考えられる。作曲家は、絵を観ることで友人自身について想念を巡らし、彼の死を悼んでいるのである。

それは、「プロムナード」に明確に表れている。「プロムナード」は、展覧会で作曲家が絵から絵へと移動する際の音楽だが、そもそも何を表しているのか。楽譜の冒頭には、「ロシア風に」と付記されている。しかしこれはおそらく、よくマルカートで勢いよく演奏される行進曲ではない。我々の耳には、ラヴェルの編曲が耳にこびり付いていて、多くの人が、冒頭の単旋律はトランペットだと思い込んでいる。しかし、ムソルグスキーがここで想定していたのは、むしろ古いロシアの聖歌である。ロシア正教の伝統では、まずテノールの先唱者がソロでメロディを歌い、それに続いて、厳かな男声のコラールが唱和される。4分の5拍子のリズムは、この旋律がフォルクローレに由来することを示唆しているが、単旋律と四声体が対置されているのは、これが教会の祈りの歌だからなのである。

しかし、なぜ冒頭に聖歌が歌われるのか。そして「楽しげになってはならず、やや荘重に」と演奏指示があるのか。それは「プロムナード」が、紛れもなくガルトマンへの葬送歌だからである。

「プロムナード」の旋律が、「カタコンベ」の後半、「死せる言葉で死者と語る」で再登場するのは、まさにこのためである。「カタコンベ」は、ガルトマンがパリの地下墓地を見学した際の絵に基づくが、ムソルグスキーはそれを観て、冥界に下った友人の姿を想像している。草稿には、「亡くなったガルトマンの創造的霊魂は、私を頭骸骨たちのもとへと導き、それに呼びかける。すると頭骸骨たちは、柔らかな光を放つ」と書き込まれている。実際の音楽では、光を象徴する神秘的なトレモロのなか、「プロムナード」の旋律が短調で現れるが、これは低音の展開形(=死者たちの声)で応唱される。作曲家は、ガルトマンの霊魂が死者に呼びかけると言っているが、これは、ムソルグスキーがガルトマンの霊と語っていると考えるべきだろう。そしてその語りかけのメロディーこそが、「プロムナード」=死者を弔う歌なのである。

もっとも筆者は、ラヴェルが冒頭の「プロムナード」を間違って編曲した、と言いたいのではない。その反対である。西欧の伝統においては、トランペットは、戦死した兵士の埋葬時に使われる楽器である。そしてトロンボーンは、バロック修辞法においては、「霊界の声」を意味する。つまりラヴェルは、ムソルグスキーが「プロムナード」に込めた意味を正確に理解していたのだった。むしろ問題は、楽譜を読み込むことなく、先入観で冒頭をマーチのように演奏してしまう指揮者やピアニストにある。

ラヴェルの知性は、終曲「キエフの大門」にも表れている。ここでムソルグスキーは、ガルトマンがデッサンし、しかし結果的に建設されなかった門を想起している。果たしてこれは、どんな建物になっただろうか。彼は大門の主題の間に、塔に併設されている教会(注:ガルトマンの絵に描かれている)のコラールを挟んでいるが、その合唱はやがて、教会の鐘の響きへと移行する。その際、オリジナル(=ピアノ版)の譜面はあまりにシンプルで、合唱や鐘の響きを想像することは難しい。しかしラヴェルは、コラール主題を木管で合唱のように再現するばかりか、鐘の響きを《ボリス・ゴドゥノフ》の〈ボリスの死〉(注:教会から彼の死を暗示する鐘と合唱が聴こえる)と同じオーケストレーションにしている。

つまりラヴェルは、ムソルグスキーが(ガルトマンが生きていたら建てていたかもしれない)門を思い描いてこの曲を書いたこと、そしてコラールと鐘が、(それを果たせなかった)友人への哀悼の想いであることを理解していた。「プロムナード」を金管コラールで処理したことも含め、彼の編曲は、単に優れたオーケストレーションであるだけでなく、内容的にも核心を突いた「解釈」なのである。

曲のクライマックスで、《ボリス・ゴドゥノフ》の弔いの鐘は、「プロムナード」の葬送歌へと収斂し、最後に大門の主題へと融合される。ここで我々は、大門の主題が、「プロムナード」の旋律の展開形であることに気が付いてハッとする。「キエフの大門」は、大音量で聴衆をあっと言わせる種類の音楽ではない。そして「展覧会の絵」全体は、ムソルグスキーがガルトマンに捧げたレクイエムなのである。筆者は終曲が終わった瞬間、夢に描かれた大伽藍が、虚空に消え去るような思いに駆られる。そして、そこはかとない心の痛みを覚えるが、そうしたイメージを実現し得ている指揮者は、晩年のカラヤンであった(ベルリン・フィルとの1986年録音)。ピアニストからは、理想的な演奏はまだ聴いたことがない。

CD『ラヴェル:ボレロ、スペイン狂詩曲/ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」』
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
Deutsche Grammophon
UCCG-52005


Profile
城所孝吉(Takayoshi Kidokoro)

1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。1990年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』などの雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活躍。

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