誕生日編(2) R.シュトラウス

クラシック音楽のナゼ? Vol.5

Question
称賛と悪評にまみれた天才R.シュトラウス。ナゼ?

Answer
守銭奴で、とんでもなく恐妻家だったから

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text:La Valse編集部

リヒャルト・シュトラウス
1864年6月11日生

1864年6月11日、ドイツのミュンヘンに生まれたリヒャルト・シュトラウスは、“モーツァルトの再来”と評判になるほどの神童で、少年時代は室内楽曲や歌曲で早熟ぶり発揮、20歳過ぎから50歳頃までに交響詩、オペラを中心に、現在も世界中で演奏される傑作を数多く作曲し、おまけに指揮者としても大活躍して、「驚くべき才能の持ち主」と称賛された天才でした。

その一方で、多くの悪評も浴び続けました。例えば、お金に強欲だったため“守銭奴”と呼ばれたり、彼以上に欲深い妻の尻に敷かれっぱなしの恐妻家と揶揄されたりしました。40歳で作曲したオペラ《サロメ》は“不道徳で悪臭ふんぷん”と酷評され、歌手にも「たくさんお金をもらっても絶対歌いたくない」と拒否されたりしました(今では傑作と評価されています)。加えて、ヒトラー政権時代に「帝国音楽院総裁」を務めたことでナチスの協力者とみなされ、戦後に連合国による裁判にかけられたのです(無罪でしたが)。

そんなわけで、彼の85年に及ぶ人生は「センセーションという言葉はリヒャルト・シュトラウスのために作られた!」と言われるほど波乱万丈でした。そもそも天才というのは、つらい人生を送る運命にあるようです。リヒャルト・シュトラウスが1949年9月8日に亡くなる前年に書かれた「4つの最後の歌」の第3曲〈眠りにつこうとして〉の歌詞の一節、「魂は誰にも見張られることなく、自由な翼を張って漂おうとしている」こそが、天才が生涯にわたって求め続けて得た、清々しくも痛々しい心境であったのかもしれません。

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