チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」その1(全3回)| 名曲レゾンデートル〜“傑作”の理由 Vol.3

text:城所孝吉

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、昔からブラームスやベートーヴェンの同種の作品と比べて、一段下に見られてきた。これは、当時の名ヴァイオリニスト、レオポルト・アウアーが演奏不可能として演奏を断ったことや、初演(1881年、ウィーン)でエドゥアルト・ハンスリックが「悪臭を放つ音楽」と酷評したことが、チャイコフスキーへの一般的な偏見と相まって生まれた評価と思われる。同じことは、彼のピアノ協奏曲第1番についても当てはまる。

しかし筆者は、この曲がとても好きである。なぜならここには、我々が普段知らないチャイコフスキーの姿が現れているからだ。このコンチェルトでは、全体にポジティブな感情が描かれている。つまり悲劇的でも、センチメンタルでも、激情的でもない。人生を謳歌し、それを心から味わい尽くす生命感が横溢しているのである。それは端的には、愛の高揚だ。そしてその愛は、現実のチャイコフスキーと強く結びついている。

チャイコフスキー

彼がこの作品を書いた背景には、イオシフ・コテック(1855-1885)という若いヴァイオリニストの存在がある。作品は、1878年の3〜4月にジュネーヴ湖畔のクラランで、わずか11日で作曲されたが、そこでチャイコフスキーと休暇を送ったのが、コテックであった。チャイコフスキーは、モスクワ音楽院で教鞭を取っている時期に彼と知り合ったが、両者の関係は、普通の師弟のそれではなかった。それを超える、極めて親密なものだったのである。

「こんなに恋心を持ったのは久しぶりです。彼のことは、6年前から知っています。ずっと好意を持っていて、何度も好きになりかけましたが、もう降参です。自分の想いに抵抗するのを止めました。何時間も彼の手を握っていると、居ても立ってもいられず、その場に身を投げだしたくなります。自分でもコントロールできないほど熱い想いに満たされ、口調も、子どものようにしどろもどろになってしまうのです」
(1877年1月31日の弟モデストへの手紙/出典:チャイコフスキー作品全集 論文・手紙編 第4巻110頁以降 文書番号538)

チャイコフスキーの同性愛は、我々の想像以上に現実的なものであった。学生時代には、クラスメートと後輩の少年を奪い合い、大人になってからも、様々な(不特定多数の!)男性と関係を持った。同じく同性愛者であった弟モデストとは、お互いに「カミングアウト」すると、自らの「ゲイ・ライフ」について率直な(というよりもあけすけな)言葉を交わしている。それは上の引用をはじめとする、多くの手紙にはっきりと刻印されている。

コテックがチャイコフスキーにとって大きな意味を持つようになったのは、1876年末から1877年初頭のことと思われる。年が明けた春、彼はアントニナ・イワノヴナ・ミリュコワという女学生からラブレターを受け取り、結婚することを決意する。周知の通りこれは大失敗となり、チャイコフスキーは数週間で別居に踏み切るが、そもそも結婚しようと思ったのは、同性愛についての噂を牽制し、社会的体面を保つためだった。そしてその“プロジェクト”の後押しをしたと思われるのが、他ならぬコテクなのである。彼は弟アナトリと共に、結婚式(7月18日)で婚礼立会人になっているが、こうしたところにも、彼とチャイコフスキーの特別な関係がうかがえる。

チャイコフスキーは同年の10月初旬、方便を見つけて妻のもとを離れると、モデスト、アナトリと共に長いヨーロッパ旅行に出かける。これが可能となったのは、前年末から文通を始めたナジェジダ・フォン・メック(メック夫人)が、年金の支給を申し出たからである。そして彼が、滞在先のウィーンでいち早く待ち合わせた相手は、ベルリンでヨーゼフ・ヨアヒムに師事することを目指していたコテクであった。

実はコテックは、メック夫人を直接知っていた。彼は前年に、ニコライ・ルビンシテインの紹介で、彼女の自宅で演奏する音楽家として雇われていたからである。そもそもメック夫人がチャイコフスキーに注目するようになったのは、コテックが彼女に作品を紹介したからと思われる。彼はチャイコフスキーに、特定の曲を彼女の屋敷のアンサンブルのために編曲するように頼んだが、文通はそれがきっかけで始まった。つまりチャイコフスキーは、コテックの仲介により、年額6,000ルーブル(チャイコフスキーのモスクワ音楽院での年棒は、約2,500ルーブルであった)という大金を13年間わたって受け取るチャンスを得たのである。

(その2に続く)

Profile
城所孝吉(Takayoshi Kidokoro)

1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。1990年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』などの雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活躍。