TOP対談 クラウス・ハイマン(ナクソス・ミュージック・グループ会長)× 平井俊邦(日本フィルハーモニー交響楽団理事長)


二人のビジネスマンが熱く語る、クラシック音楽界のこれから

日本フィル、プラハ響、ドイツ放送フィルの首席指揮者を務め、世界に活躍の場を広げるピエタリ・インキネン。先日、彼が2020年のバイロイト音楽祭でワーグナーの大作《ニーベルングの指環》を指揮することが発表された。それを機に、インキネンの2種の『シベリウス:交響曲全集』(日本フィル、ニュージーランド響)などを世に送ったクラウス・ハイマンと日本フィル理事長・平井俊邦の対談が実現。インキネンへの期待をはじめ、昨今の音楽業界について語り合った。

左:平井俊邦 右:クラウス・ハイマン

interview & text :友部衆樹
photos:藤本史昭


インキネンのバイロイト・デビュー

──バイロイトは、1876年にワーグナー自身が創始した伝統ある音楽祭。現在も世界中からファンが集まる「ワーグナーの聖地」として知られています。

平井 第一報はインキネンから届いた「バイロイトに推薦されました。本当に望外の喜びです」というメールでした。彼とは2008年4月の日本フィル初共演(横浜定期)以来10年以上にわたって共同作業を続けてきましたし、我々にとってもビッグ・ニュースでした。

ハイマン これまでにバイロイトに登場した錚々たる指揮者たち(フルトヴェングラー、トスカニーニ、クナッパーツブッシュ、カラヤン、ブーレーズ、カルロス・クライバーなど)を思い起こすだけで、音楽祭の魅力は一目瞭然ですね。インキネンもこの指揮者の系譜に名を連ねることになります。

平井 彼は早くからワーグナーに取り組み、《指環》全曲をメルボルンで2013年、16年にそれぞれ複数回上演し、パレルモでも《ワルキューレ》《ラインの黄金》を指揮して高い評価を受けました。日本フィルとも《ラインの黄金》(演奏会形式/17年5月)など折に触れて採り上げています。インキネンはワーグナーに独特の思いをもっていますね。

ハイマン 挑戦する精神と、それを裏づける実力のある指揮者です。彼は大編成のオーケストラの力を引き出すことに定評があり、オークランドで聴いたニュージーランド響とのマーラーも素晴らしかった。

平井 2019年4月、日本フィルは13年ぶりにヨーロッパ・ツアーを行いました。インキネンとともに4ヵ国(フィンランド、オーストリア、ドイツ、イギリス)10公演を16日間で巡るハード・スケジュールでしたが、いずれの公演も盛況で、成功を収めることができました。大きかったのは、インキネンとオーケストラとがとても親密になったことです。

ハイマン それは素晴らしい成果ですね。

平井 楽団員が、シベリウスをメインにインキネンが目指す音楽に近づいた。彼は、オーケストラから自然に音楽が出てくるようになったことをとても喜んでいました。

ハイマン 日本フィルは、1962年に渡邉曉雄さんの指揮で世界初のステレオによるシベリウス交響曲全集を録音した、伝統あるオーケストラですね。

平井 それから半世紀以上が経過して、渡邉曉雄さんの生誕100年、そして日本&フィンランド外交関係樹立100周年という年に、新しい伝統を作ることができました。私は初めてフィンランドへ行き、現地で演奏を聴きましたが、シベリウスが描いた情景を彷彿させるサウンドや空間を実現できたと思います。一方でインキネンは、ホールの音響に応じて演奏を変えていて、そのための指示を綿密に行っていました。改めて彼のすごさを感じました。

ハイマン 録音でも丁寧な音作りを聴くことができます。インキネンのシベリウス交響曲全集は、2種類とも大きな反響がありましたが、ニュージーランド響との演奏(2008〜09年)は室内楽的な透明度に特徴があります。日本フィルとの演奏(2013年)はよりドラマティックですね。

平井 日本フィルではブラームスやブルックナーも指揮、スケールの大きな演奏を繰り広げてきました。ドイツものの集大成として、ベートーヴェン生誕250年(2020年)を機に交響曲ツィクルスを2年にわたって(19年10月〜21年5月)行います。

ハイマン 彼は優れたヴァイオリニストでもありますから、演奏者の気持ちが分かる。実践を踏まえた自然体の演奏になりそうですね。いずれにしてもベートーヴェンのアニヴァーサリーですから、ナクソスとしても様々な企画を考えています。


クラシック音楽の将来

平井 CDのセールスが厳しい時代になりましたね。

ハイマン 確かにその通りですが、あと10年ほどはビジネスとして成立するだろうと考えています。先々は、例えば1タイトルにつき数十枚ほどプレスして、その後はオンデマンドで製造していくことになるのではないかと思います。そうするとロスがなくなりますから。一方でダウンロードやストリーミングが一般的になり、様々なメディアで音楽を聴くことが可能になりました。ですから、聴き手の数は増えていると思います。

──ストリーミングを始めた時は、これほど普及することを予想されていたのでしょうか。

ハイマン 業界に先駆けてストリーミングを始めたのが1996年。定額制ストリーミング・サービスとして「ナクソス・ミュージック・ライブラリー(NML)」を開始したのは2002年です。当初は販売促進が目的でした。音楽ファンに試聴していただき、そしてCDを買っていただく、その手段だったのです。最初はデータをやりとりするコストが高かったので最低限の音質でしたが、今やスマートフォンで良い音を自由に聴けるようになりました。
今後、ほとんどの音楽ファンがストリーミングで聴くようになるでしょう。ただ私は個人的には、ストリーミングで人気のプレイリストはマイナス面も持っていると思っています。楽章をバラバラにして、オーケストラもピアノも混ぜて、リラクゼーションの時はこれ、日曜のカフェタイムにはこれ、という風に用途に合わせて聴ける。確かに便利です。しかし、私の本心としては交響曲やソナタの全曲を聴いて、作品の世界に浸ってほしいのです。とはいえプレイリストを作ることで、音楽をエンジョイできるのは良いことですし、ビジネスにもつながります(笑)ので悪いことではないのですが。

平井 クラシック音楽の将来をどのようにお考えでしょうか。

ハイマン 明るい未来があると思います! クラシックの「レコード(録音物)」としてのビジネスは、すべてのレコード会社を合わせても年間10億ドル(1,100億円)くらいでしょう。しかし、それはクラシック音楽に関するすべてのビジネスのほんの一部です。歌劇場、オーケストラ、バレエ団、音楽学校など、すべてを合わせると、クラシック全体では年間1,000億ドル(11兆円)規模のビジネスになります。したがって開拓の余地はまだ充分にあり、クラシック音楽は安泰というわけです。

平井 私は音楽の世界に関わって12年ほど経ちましたが、改めて感じたのは、オーケストラの演奏力が上がるとお客様が増えること。これは非常に大事なことだなと。一方で、良い音楽をやっていますから聴きに来てください、だけではダメだと痛切に感じます。ドラッカーの言う「顧客の創造」をいかに成すかが問われていますね。

ハイマン 何らかの形でイベント化することは必要でしょう。指揮者のプレトークもそうですし、例えばベートーヴェンの交響曲第4番を演奏する時、作曲当時の手紙を俳優が朗読してみる、とか。

平井 音楽を中心に、絵画や文学、あるいは社会や経済がどう結びついていたのかを知らせることで、もっと興味を引きつけられるかもしれません。
コンサート会場で音楽を聴くと、自分でも知らないうちに涙を流す体験をすることがあります。周囲を見回すと、やはり目頭を押さえる人がいたりする。感動して、生きていて良かったと思う。元気になる。そんな体験は音楽を聴く醍醐味だろうと思います。時代が変わっても、人間が音楽を聴くことを止めることはないでしょう。我々ももっと努力を重ねて、より多くの皆様に感動を届けていきたいですね。

Profile
クラウス・ハイマン
1936年ドイツ・フランクフルト生まれ。60年代に当時勤めていたアメリカの新聞社の社員として香港に赴任。その後、同地で数々の事業を興し、87年Naxosレーベルを設立。2002年には定額制ストリーミング・サービス“Naxos Music Library”をスタート。世界のクラシック音楽業界を席巻した。常に時代の先を見つめるハイマンは、83歳になった今も世界中を飛び回る日々を続けている。香港在住。

平井俊邦
1942年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)取締役香港支店長・上海駐在員事務所長、本店営業第二部長、常勤監査役、千代田化工建設代表取締役専務、インテック取締役副社長・共同最高経営責任者を歴任。2007年4月、日本フィルの理事となり、専務理事を経て14年7月に理事長に就任。